マダム・マサコがいた時代

戦後、デザイナー、ジャーナリストとして活躍した女性、マダム・マサコの足跡を追いながら、戦後女性誌の変遷もあわせて見ていきます。

マダム・マサコ「モード案内・1」戦後パンツスタイル事情/映画「晩春」の月丘夢路

マダム・マサコ最初の著書「モード案内・1」。 装丁デザインなどはこちらの過去記事へどうぞ。 madamemasaco.hatenadiary.com さて、「モード案内・1」の内容を見てみましょう。 イラストグラビア4pが続き、イラスト15点とともに、スタイルを紹介して…

マダム・マサコ「モード案内・1」のモダンな装丁

マダム・マサコの最初の著書「モード案内 1」 戦後すぐは「装苑」、「スタイル」などにデザインやエッセイを寄稿していたマダム・マサコ。その最初の著書は昭和25年(1950年)婦人画報から刊行された「モード案内・1」です。 洋裁に必要な生地の知識、スタ…

マダム・マサコの活躍の場のひとつ「装苑」

戦後の「装苑」は最初期のマダム・マサコの活躍の場のひとつ。 ヤフオクという沼にずるずるとハマりながら、古雑誌を集めております。 最近購入したのは、昭和24年から昭和33年までの「装苑」。 マダム・マサコが活躍した媒体のひとつです。 国立国会図書館…

マダム・マサコの位置づけ 「婦人画報創刊70周年記念 ファッションと風俗の70年」より

ファッションデザイナーとしてのマダム・マサコの位置づけとは。 明治38年(1905年)「婦人画報」創刊から70年後の昭和50年(1975年)に発行された「婦人画報創刊70周年記念 ファッションと風俗の70年」に、「ファッションデザイナーの系譜と活動」という記…

戦後いち早く発行された女性誌「スタイル」

宇野千代が、夫の北原武夫と共に戦前から出版していた女性誌「スタイル」。 写真は戦後に復刊した第1号となる昭和21年3月号の表紙。こののち、マダム・マサコも数回寄稿している。 「スタイル」の特徴は、ファッションのみならず、読み物、カルチャーにペー…

マダム・マサコ who ?

その名前がメディアに登場するのは戦後すぐに発行された「装苑」や「スタイル」など。その後デザイナーとして、ファッションジャーナリストとして活躍し、昭和30年代は「婦人画報」の表紙デザインなども手掛けました。 着るためには洋裁をするしかなかった時…