マダム・マサコがいた時代

戦後、デザイナー、ジャーナリストとして活躍した女性、マダム・マサコの足跡を追いながら、戦後女性誌の変遷もあわせて見ていきます。

終戦から19年目の夏/昭和38年8月号「婦人画報」から

昭和38年8月号の「婦人画報」を手に入れました。

 

表紙のデザインに惹かれ、昭和38年8月号「婦人画報」を手に入れました。題字は佐野繁次郎、通称サノシゲ、衣裳は中島弘子、モデルはなんと吉村真理です。この時代、ヘアメイクのクレジットはありません。誰がしていたのでしょう?よく見ると吉村真理のアイライン、まぶたに付いちゃってるし。でも、とてもクールでカッコいい表紙です。

 

目次を見てみましょう。

 

 8月号は美容がメインの特集になっています。

 

2特(第2特集)はリビング、そして旅。

 

読物が続き、モードは割と扱いが小さいように見えますが、ファッショングラビアがふんだんにあります。

お料理のページも充実。夏の中華料理は、華都飯店のマダムで料理研究家の、馬遅伯昌(まーちーはくしょう)さん。伯昌さんのお嬢さん、若かりし頃のへれんさんも写っていました。松本清張山口瞳瀬戸内晴美と、連載小説が3本もあり読み応えたっぷり。

 

巻頭グラビアは、ファッショナブルでありながら、終戦記念日を意識したものになっていました。

 

「19年目の私たち」と題された本文には、戦争の記憶を持っている私たち、という意識をしっかりと表しています。そして時を経て、こんなにも豊かになった、それも敵国だったアメリカの影響下に十分に置かれたものに、という意識も、ある。で、なぜ文末が、「 ”愛される女” ”愛することのできる女”こそ19年目のこの夏の課題ではなかろうか」、になるのかしらん。愛されることも、愛することも、19年前にはできなかった、ということなのかしらん。

 

如何せん、終戦から19年経った、まだ戦争の記憶もはっきりとあるが豊かさを享受している日本、その豊かさがアメリカに追従していることからもたらされているもの、という意識を確認しているのでしょう。重いテーマをさらりと述べています。

 

写真も効果的ですね。吉村真理さんの隣に写っているのは岡田真澄さんですね。この頃は映画等で活躍されていたと思います。

 

この号は、マダム・マサコデザインの装いの紹介、またマダム・マサコ本人もモデルとして登場しています。また次回、ご紹介します。