マダム・マサコがいた時代

戦後、デザイナー、ジャーナリストとして活躍した女性、マダム・マサコの足跡を追いながら、戦後女性誌の変遷もあわせて見ていきます。

パーマネント禁止令に反して/宇野千代編集「スタイル」昭和14年6月号より

宇野千代編集の女性誌「スタイル」昭和14年6月号を手に入れました。

表紙イラストがとてもモダンな印象。

 

内容も、海外の女優さんや、女性誌からの転載記事などが多く、先進的です。

 

ハリウッド女優のグラビア。

 

フェイシャルマッサージのすすめもあります。

「毎朝お顔にもこれ丈の体操が要ります」という見出しがユニーク。といいますか、美容記事って、今も昔も大して変わっていないのかも。

 

この号の特徴として、美容記事が多いこともさることながら、美容院広告がすさまじく入っているのです。

 

鎌倉の美容院。

 

大阪・心斎橋のナショナル。

 

市ヶ谷駅前の紀の国やさん。そんなパーマ屋さんがあったとは。

真っ黒。何が何だかわからないメイ・ビュイーティサロンさん。

 

どんどん行きます。

 

 

牛山喜久子さんってメイ牛山さんでしょうか。

 

日劇の4階にあった美容院。

 

 

シャンプーセット込で6円、ふたりで行けば5円。

 

こちらも四谷。米国シエルトンマシンって、なんでしょう。

 

チユリツプオイルって聞いたことないなあ。

 

遠赤外線応用美顔術。

 

 

チヨス?チコス?

 

フレツシな技術。。。フレッシュのことでしょうか?

 

吉行あぐりのお店、市ヶ谷は晩年までやっていました。銀座と岡山にあったのは知らなかったです。銀座は伊東屋に???

 

とにかく、この猛烈な美容院アド。次から次へと美容院ばかり。しかし、この号の出た昭和14年6月、とても皮肉な出来事がありました。国民精神総動員委員会より、パーマネント禁止令が発令されたのです。

 

なのになぜ、こんなにパーマネント、パーマネントと連呼する、美容院広告ばかりなのか。自粛する様子が垣間見れない。と思っていました。

 

現に、谷崎潤一郎『細雪』下巻では、幸子と雪子が帝国ホテルに宿泊し、関西にはまだ広まっていない、コールドパーマをかけに資生堂美容室へ行くというエピソードがあります。このとき昭和15年11月の設定ですから、当時の女性たちは、まだまだパーマをかける気マンマンだったのでしょう。

 

「パーマネントはやめませう」という標語とは裏腹な、この広告群はどう説明したらいいのか。宇野千代の反骨精神がそうしたのか。色々考えていたとき、この中から1つの広告が目に入りました。

 

 

渋谷の道玄坂にあった美容院のようです。帝都一級の技術、というのが光る!そして、一番左の文言が目に入りました。

 

新聞案内広告を一時休止します、というこの文言が見えるでしょうか?

 

ここから推測していきます。おそらく、この当時の多くの広告は、新聞がメインだったのでしょう。多くの美容院も新聞に広告を載せていたと思います。

 

しかし、国民精神が跋扈し、とうとうパーマネント禁止令が出たこの頃、新聞広告も遠慮しようということになっていったのではないでしょうか。

 

そこを行き場を失いつつあった、美容院広告をかっさらったのが宇野千代なのかもしれません。だとしたら、すごいビジネスセンスです。