その名前がメディアに登場するのは戦後すぐに発行された「装苑」や「スタイル」など。その後デザイナーとして、ファッションジャーナリストとして活躍し、昭和30年代は「婦人画報」の表紙デザインなども手掛けました。
着るためには洋裁をするしかなかった時代に、パリ留学時代に培った基本的な生地やスタイル、TPOなどの知識から、美しい振る舞いや生活のエッセンスまでを丁寧に説いた著書は、当時多くの女性に支持されたのでした。
最後に彼女の名前が確認できるのは1969年(昭和44年)発行の「現代用語の基礎知識」服飾用語の解説。それ以降の足跡は不明、とされています。
初めてマダム・マサコを知ったのは、ヤフオクで、ときたま結構な価格で取引されている本があるな、と気付き、その本や著者を調べたことがきっかけでした。
「実用とシック」光文社カッパブックス 昭和31年。
洒落た装丁、お茶目という形容詞がぴったりな語り口、丁寧な解説は、いまでも十分に読めるもの。
華やかな経歴と、突然メディアから姿を消したのもミステリアスで、興味を引きます。
ファッションを丁寧に語り、それが生き方のひとつのフィロソフィーの提示でもある、というのは、1990年代に登場する光野桃や斉藤薫、いまで言えば大草直子を彷彿とさせます。
はからずも、婦人画報社とは縁の深かかったマダム・マサコ。光野桃、斉藤薫、大草直子この御三方も、婦人画報社の編集者としてキャリアを出発させた方々であり、まさに婦人画報社のDNAなのでは?と膝を打ったのでした。
そしていま、マダム・マサコが華やかに活躍した時代を振り返り、現在まで続く女性誌文化の一端を紐解きたい衝動に駆られているのです。
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