マダム・マサコがいた時代

戦後、デザイナー、ジャーナリストとして活躍した女性、マダム・マサコの足跡を追いながら、戦後女性誌の変遷もあわせて見ていきます。

戦後いち早く発行された女性誌「スタイル」

宇野千代が、夫の北原武夫と共に戦前から出版していた女性誌「スタイル」。

写真は戦後に復刊した第1号となる昭和21年3月号の表紙。
こののち、マダム・マサコも数回寄稿している。

「スタイル」の特徴は、ファッションのみならず、読み物、カルチャーにページを割き、また、毎号美容ページをある程度のページ数で設けたこと。

 

この当時から昭和50年後半までの女性誌は、毎号美容ページはあったにせよほんの2、3ページで、まずファッションをメインにしたものであった。宇野千代自身が美容に大変興味を持っていたせいでもあるが、現代的な女性誌設計の思想がみられることは特筆すべきだと思う。

 

巻頭グラビアを見てみる。

巻頭グラビアは原節子

 

 

ファッション第1特集「ストライプと真珠」。「アメリカの最近の服飾界をリードしている流行」と紹介。

 

 

第2特集は「あちらの普段着パンタロンスタイル」。

あちらの、というのはアメリカ。「コロンビアの新人アイリス・メレデイス(中央)のこの爽やかな姿をご覧下さい。美は何処にでもある、創意さへあれば、といふ格言の最も端的な一例です!」と、ファッションの紹介をしつつも、実際には装うことのままならない現実を「創意工夫さへあれば」と転換しているのが涙ぐましい。