マダム・マサコがいた時代

戦後、デザイナー、ジャーナリストとして活躍した女性、マダム・マサコの足跡を追いながら、戦後女性誌の変遷もあわせて見ていきます。

大村しげを覚えていますか?

大村しげのこと。

 

長らくブログを書く手を止めていて、ごめんなさい。久しぶりにブログを書くのに、今日はマダム・マサコの話からは少し離れて、大村しげのことを書きたいと思います。

私のライター仲間であり盟友の川田剛史さんが、随筆家・大村しげのことを調べ始めて、もう何年経つでしょうか? 京都出身の川田さんが、数年前から度々長めの帰省をされていることを知っていたけれど、その理由が大村しげ。京都に戻られる度に、しげの著作を元に丁寧に取材されていたのです。

 

川田さんが管理人を務めるサイト

大村しげの愛した京都 | しげの著述を辿り、京都を再発見する

 

大村しげは、たくさんの著作を残し、1960年代から99年に亡くなるまで、新聞や雑誌などを中心に、テレビなどにも多く出演した方なのに、現在インターネット上での情報はほとんどなく、著作も忘れられてしまっています。おばんざいという言葉を日本中に広めた人なのに。

 

私はぎりぎり大村しげを知っている世代。大村しげといえば、おばんざいというように、70年代、80年代の日本の食シーンに大きな影響を与えたと言っても過言ではないと思います。

 

我が家は母も祖父母も東京の下町育ちなので、私が子供の頃の食卓は味付け濃いめの江戸風なものが占めていました。煮しめにしてもおしょうゆをたっぷり使い、お味噌汁も濃いめ。良くも悪くも、塩やしょうゆをがっつり使った、くっきりした味付けが普通でした。ところが、70年代後半ごろになると、出される食事の味付けの傾向に変化がありました。何でも適度に薄味になり、味の方向性を塩やしょうゆに頼るのではなく、出汁をしっかりとって、深みを出すとでもいうのでしょうか、そういう方向性に変わってきたのです。

 

当時、塩分の摂りすぎは不健康だという認識が広がったこと、そして大村しげの著書などからおばんざいや京風の薄味が広まったこと、このふたつが要因にあるように思います。私にとって大村しげは、おばんざいで日本中の食卓を変えた人、という印象なのです。

 

大村しげの仕事は多岐に渡っていて……分かりづらい?

 

おばんざいという言葉と概念を日本に広めた人、というのが、私が知っている大村しげのすべてだったのですが、実は本当に多岐に渡ったテーマで著作を残されています。amazonで大村しげの著作を調べてみると、共著なども含め33冊もあります(絶版も多いです)。

 

京料理についての著書が一番多いのは確かなのですが、書いてきたテーマが本当に広いのです。

 

暮らしについての著書や、

京暮し (暮しの手帖エッセイライブラリー)

京暮し (暮しの手帖エッセイライブラリー)

 

 

ほっこり京ぐらし

ほっこり京ぐらし

 

 

また、着物についての著書もあったり…

京の着だおれ 京女がつづる着物への愛

京の着だおれ 京女がつづる着物への愛

 

 

京都に残るわらべうたについての著書まであって…

こんこんさん遊びまひょ―京のあそびうた

こんこんさん遊びまひょ―京のあそびうた

 

 

 

一体どれから読んでみたらいいのだろう?と思っていたところ、川田さんの管理する大村しげプロジェクトのインスタに投稿されていた本に目が留まりました。

大村しげ 京都町家ぐらし (らんぷの本)

大村しげ 京都町家ぐらし (らんぷの本)

 

 

大村しげの死後、彼女の京都の町家に残された膨大な家財は、国立民族学博物館に所蔵され、大村しげコレクションとなっています。この本の著書、横川公子さんこそ、このコレクションを通じ、大村しげ研究をされている研究者。横川さんたち研究者が、分類、記録、調査をし、そのエキストラクトを一般の読者にもわかりやすく紹介している本なのです。

これを見ると、大村しげの生涯と仕事がよくわかります。祇園で仕出し屋だった父は、新聞などを記録のためにと、保管しておく習性があったことから、しげも自然と、後世のためにという目的のために、保管・保存を心がけていきます。

 

誰もが気に留めていないので、やがて消えてしまう、そうなれば「わたしの暮らしは空っぽになってしまう」と、暮らしの内側、現場から警鐘し、いち早く、のろしをあげたのである。そして、当たり前の暮らしを証明するモノを、大村しげコレクションとしてのこした。

「はじめに」p12

 

この大村しげコレクションがいかに膨大か、その点数を見て驚きます。14,542件、45,218点にもなる、京都の暮らしの100年が詰まったコレクションです。

 

この本では、しげが残した衣食住にまつわるモノを紹介する「Ⅰモノと暮らし」、大村しげといえば忘れることのできないおばんざいなど京料理についての「Ⅱおばんざいの発見」、「Ⅲしげの一生」、という大きく3つに構成され、しげが成したこと、残したモノがなんだったのかが、本人の写真と合わせて、わかりやすく紹介されています。

 

ちなみにこの本を読むと、前述したように、なぜしげが多岐に渡るテーマを書いてきたのか、その理由もわかります。

 

とにかくしげが残したモノが膨大です。こんなモノまで…?というのが正直な感想です。断捨離なんて言葉は断じて通用しません。後世のために取っておくのだ、という意志は強固です。

 

そして同時に、モノを使い捨てず、モノを最後まで使い切ることが徹底された、しまつのよい暮らしがそこにあります。

 

インテリア、なんて言葉もぶっ飛びます。インテリア雑誌に掲載されている、ミーレのシステムキッチンの広告みたいな、モノもなければ、ひとけもない、生活感もない、みたいなクリーンな世界とは真逆の生活。京町家のしつらえの中にモノもひとも合って、ていねいな生活がある。そういうことを思い出させてくれました。

 

忘れられてしまう前に、捨てられてしまう前に、記録するという意志。

 

京ことばの言文一致体で書くというのが、しげの著述スタイル。これは谷崎潤一郎細雪』を読んで思いついたと書き残しています。

 

 ふっと読んだのが『細雪』で、その生き生きとしている会話に魅せられてしもうた。こってりとした大阪のことばの味、ええもんやなと思うた。(中略)

 

大阪のことばで書けるもんなら、京都のことばででも書けるやないか、と思い出した。そんならいっぺん書いてみまひょ。

 

『静かな京 わたしの京都案内』より

 

とても面白いなと思うのは、『細雪』こそ、阪神大震災以降関西に移り住み、そこで三番目の夫人となる松子夫人とその姉妹、大阪の旧家の贅沢な生活や、阪神間モダニズムの隆盛、そこで暮らす人々の様子を「記録する」という意志で書かれた側面があると、谷崎研究者のはしくれの私は思うのです。

 

戦争を境にもう二度とこの生活は戻ってこないことを谷崎は理解しており、それを「記録する」という目的も、『細雪』には十分にあったと考えます。でなければ、妙子の乗るバスの系統や、幸子と雪子がかけるパーマの種類まで、作品内に書き留める必要があるでしょうか。私には作品の中に「閉じ込める」という意志が感じられます。しげが「後世のために」となんでも保管してきたように。

 

と、話が長くなってしまいました。餅は餅屋といいます。川田さんの管理するウエブサイト「大村しげの愛した京都」や、

大村しげの愛した京都 | しげの著述を辿り、京都を再発見する

 

川田さんが連載する家庭画報.com「随筆家 大村しげの記憶を辿って 京都へ」をご覧ください。

www.kateigaho.com

 

 

 

川田さんが、大村しげの功績の再評価を目指されているように、このブログも、マダム・マサコという、いまでは忘れられてしまったデザイナー/ファッションジャーナリスト/エッセイストを研究し、多くの方にしってもらうことが目標です。

 

旧きものを捨て置かず、再評価するということでは同志です。大村しげも、マダム・マサコもどうぞよろしくお願いいたします。