マダム・マサコがいた時代

戦後、デザイナー、ジャーナリストとして活躍した女性、マダム・マサコの足跡を追いながら、戦後女性誌の変遷もあわせて見ていきます。

宇野千代編集「スタイル」の目録作り

マダム・マサコ研究の一環として、戦後、特に昭和21年から30年ごろに発行された女性誌を収集しています。「婦人画報」などはなかなか値が高く、簡単に手に入れることはできませんが、ボチボチやっております。

 

私が収集している雑誌のなかでも、一番多く手元にあるのが「スタイル」です。「スタイル」は戦前に宇野千代とその夫・北原武夫が発行していた女性誌で大変人気が高かったそう。戦時中も軍部に協力的な雑誌作りをして、戦地へ慰問のために送られる雑誌などを作っていたため、資金を豊富に持っており、戦後すぐ復刊することができたようです。

 

以前にも一度、ご紹介したことがありました。

 

madamemasaco.hatenadiary.com

 

 

 

ただ集めて眺めて楽しんでいるばかりだったのですが、目録を作ってみることにしました。

 

これは昭和21年から24年頃のもの。左上の赤い表紙のものが、昭和21年3月に発行された復刊1号。この頃の表紙はほとんどが外国人女性を描いたイラストです。

 

いま私の手元にあるのは、昭和21年から30年ごろのもの、計46冊ありました。「スタイル」についてはもっと収集したいと思っています。

 

「スタイル」の魅力は、海外からのファッション、風俗情報を中心に、毎号美容にも力を入れていること、また読物にも工夫があり、有名人との対談などで、楽しく読めます。初期の「スタイル」は、連載小説を2本に抑えていて、その分、ほかの情報にボリュームを振り分けていて、バランスがいい編集内容が特徴でした。

 

初期は、紙の不足、紙自体も粗悪なもので、グラビア頁を設けることが難しかったのでしょうし、読者は娯楽に飢えていたのでしょうから、連載小説が多くてもそれは雑誌と読者、お互いのニーズ(というか都合)に合っていたのでしょうが、にしても多いという印象を受けます。しかし、頁数が設けられるようになる昭和28年ごろには、小説だけで5本!も掲載するように…。

 

昭和28年5月号を見てみましょう。

 

昭和28年ごろには、表紙に女優を起用するようになります。

昭和28年5月号の表紙は、津島恵子。とてもきれい。モダンな装い。

 

まだ若手の香川京子長沢まさみに似ていませんか?

なかなか大胆な柄のプリントワンピース。

 

 

着物のページもあります。

カラーグラビアですけど、人着ですね…。毒々しい色味。

 

美容特集は、パリ風新お化粧法。エクボは作れるのか…。

男は度胸、女は愛嬌、と古い歌の文句にもあるように。

でも、その真理は原子力時代の今日だからつて少しも変ったとは思われません」。

原子力時代とどんな相関が?意味不明で、面白すぎるリードです。

 

 出た。美容整形の記事。

 

宇野千代は美容整形に興味があったのでしょう。「スタイル」は昭和21年の復刊当時から美容整形を紹介する記事を何度も掲載しています。

 

この先生、消毒薬の発達によって完成度が増してきた、と書いていますが、消毒が完全じゃなかった時代に整形するって度胸あるな…と思ってしまいました。

 

 ああ面白い。目録作りはまだ続くので、またご紹介したいと思います。